綺麗すぎない一杯
―今年で2回目の開催となった「Japan Best Ramen Awards」。「ラーメン店主が選ぶ本当においしいラーメン店」をコンセプトに、日本全国の有名ラーメン店主の方々に調査をした結果、「饗 くろ㐂」の名前を挙げる店主さんが多く、この度見事4位に輝きました。まずは率直な感想を教えてください。
同業者から選ばれるのは嬉しいです。

スタッフに教えていることが沢山ありますけど、そういうものが見本になることは嬉しく思います。
―今回、多くの店主さんに本当においしいラーメンとして選ばれた「饗 くろ㐂」さんですが、黒木さんが思う“本当においしいラーメン”とはどのようなものだとお考えですか?
食べていて「こんな人が作ったんだろうな」という作り手の顔が見えるラーメンが好きです。それは町中華のラーメンでも同じです。
―元々企業で働かれていて「らーめん天神下 大喜」(Japan Best Ramen Awards 2022|第9位)で食べたラーメンに衝撃を受けたのが、ラーメン業界に入ったきっかけとお聞きしました。和食やイタリアンを学び、総料理長も経験された上で、様々な種類や形のラーメンの中から、現在作られているラーメンのスタイルに行き着いた経緯を教えてください。
今年の4月頭から3ヶ月間、ラグビーをずっとやっていた影響で不安定だった靭帯を取り替えるための手術をして、休業していたんですが、再開時に全メニューを一新しました。これまでは綺麗なラーメンを作っていましたが、入院をしたり、食べ歩きをたくさんするようになったりした中で、今回は“綺麗すぎない一杯”をメニュー替えのテーマにしました。

僕はずっと企業にいたので、自分の好きなものではなく「売れるものを売る」という教えを受けて来ましたが、”自分の食べたいものを売りたい”と考えた時に「すごく綺麗なラーメン」より「ラーメンっぽいラーメン」の方が好きだったんです。だから、今は「綺麗すぎないラーメン」をテーマに作っています。
人との繋がり
―ラーメン店主としてのキャリアは11年。これまでラーメンを作り続けてきて、1番嬉しかったことはなんですか?
11年前くらいから来てくれてる女の子が、当時4歳くらいの時にラーメンを食べて「あー、幸せ」って言った瞬間が1番嬉しかった。今でも覚えてます。
―他にも印象に残っているお客様やエピソードはありますか?
もう11年もやってると、高校生の時から来てた子が社会人になったり、彼女を連れてきて結婚の報告をしてくれたり…。ずっと来てくれてるお客様の人生を見られた事が嬉しいです。うちは常連さんがすごく多くて毎週来てくれる人もいっぱいいるので。外国人のお客さんも全盛期は1日30~40人いらっしゃいましたし、海外からのリピーターも多いです。
―リピーターの方が多いのは、ラーメンの美味しさだけでなく、黒木さんのキャラクターも理由の1つなのではないでしょうか?
くろ㐂の教育の1つとしてある「お客様を見なさい」ということが影響しているとは思っています。岐阜(「麺 㐂色」)や松本(「小麦そば 池」)にも弟子が独立したんだけど、今まで働いたスタッフはみんな人気者だから、くろ㐂のお客様が東京からわざわざ食べにいくからね。
だから、黒木直人がすごいんじゃなくて”くろ㐂の教え”がリピーターの方が多い理由だと思います。商品が美味しいのは当たり前だけど、やっぱり「人と人」。

生産者の方との関係性もそう。農家さんに「今回のはちょっと出来がいまいちなんですよ」って言われても「ちゃんと想いを込めて作ったんだったらいいよ、俺が美味しくして出すから」って。全然駄目なものでも、その人が一生懸命作ったものであればうちで美味しい一杯にできたらいいと思ってます。野菜も、生産者も、お客様もみんな嬉しいでしょ。
―お客様を見ることが、常連さんを多く生む秘訣だったんですね。
うちが常連さんが多いのは2回目でも「どうもどうも」ってすぐ言える人がいっぱいいるから。忙しいからそんなに会話はできないけど、気にかけてあげた方が嬉しいよね。うちのカウンターもそうだけど、仕事を見せるのも仕事だし、お客様を見ることも仕事だし。お互いが見合ってるから、信頼に繋がるんだと思います。
―黒木さんは、料理に使用する食材の生産者の方には必ず会いに行かれるとお聞きしました。
僕は絶対に会いに行っています。「その人がどういう気持ちで作っているのか」「どういう想いでやっているのか」を感じに行っています。そうすると、作る側は雑なことはできないし、無駄なく使おうという意識になると思うんです。
やっぱり人っていうのは、そういう繋がりがあると思います。
“美味しい”を追究して
―1番大変だったことはなんですか?
オープンして1ヶ月は大変でした。まだその頃は昼営業しかやってなくて、朝5時半くらいに家に帰ってちょっとだけシャワーを浴びて、仮眠して、朝7時くらいにはもう店に行ってました。

僕、家族もいたんだけど開業した時に生命保険入ってなかったんです。慌てて女将さんに「生命保険入ろう」って言って入りました(笑)
―現在の形に至るまでにはどのような苦労や試行錯誤がありましたか?
1番最初にここをオープンする3日前にレシピを変えたことです。
それまで企業の総料理長をやっていたので、メニューを考えて、試作をして食べるのは当たり前のように繰り返していたのですが、オープンする3日前に東京駅のほん田さん(「麺処 ほん田 東京駅一番街店」)に食べに行った時に「これやばいな、うちのラーメン薄っぺらいな」と思って慌ててレシピを変えました。その時が一番大変でした。
―11年間もの間、ラーメンを作り続けてこられた要因はどのようなところにございますか?
楽しいですからね。料理を作ることはもちろんですけど、毎日毎日現場に立ってお客さんと接することがしたくて。大喜さんのラーメンを食べた時に「ラーメンすごいな」「死ぬまで料理やりたいな」と思って。
今年、3カ月間営業を休んだのもずっとラーメン屋をやりたいと思ったからです。
―黒木さんの中で大事にされているお言葉、座右の銘はありますか?
“全ての行動は美味しい一杯の為に”というのがくろ㐂の行動指針です。

「それをやって美味しくなるのか」「それは美味しくなることなのか」と常に考え意識しています。うちは「醤油そば」と「つけそば」に大根が入ってるんですけど、剥いた皮は干しています。干すとグルタミン酸が増えるんですよね。
ラーメンは旨味の料理だから、干すと旨味が増えるなら干すことは美味しいラーメンに繋がる行動じゃないかと。ただ干すだけでいいんだからさ。それでラーメンが美味しくなるんだから。
―ラーメンを作るのはもちろん大変だと思いますが、板前の世界もかなり厳しそうなイメージを抱いています。
昔はすごく厳しかったです。その時は大変だと思うけど、今思えばいい経験だなと思います。大変だと思うことが多ければ多いほど、後になってやって良かったなと思えるんです。
板前の時の先輩がお店にいきなり来た時に、独立したことを言ってなかったから「なんで知ってるんですか?」って聞いたら「テレビ見たよ、すごいね、頑張ってるね」って。その時は嬉しかったです。
ずっとラーメンを作りたいから
―黒木さんは元々イタリアンの料理人をやりたかったとお聞きしました。もう一度人生をやり直すことができても、料理人の道を歩みたいとお考えですか?
歩みたいですね。

ただ、ラーメンは最初からやりたくないかな。いろいろやってきたけど、作ることも、体力的にも、業界的にもラーメンが一番大変だと思います。
―今回の療養期間を利用して全メニューのリニューアルもされた今年は、コロナ禍や自粛ムードもだんだん緩和され日常が取り戻されつつある1年でした。黒木さんにとってはどんな1年でしたか?
仕事に対しても人生に対しても、自分の見直しができた年でした。手術をしたのもずっとラーメン屋を、立ち仕事をやりたかったから。もう俺はラーメンしか作れないからね。
―最後に、黒木さんご自身の今後の展望や目標を教えてください。
来年はいろいろ動こうと思っているのですが、今後はなるべくお客様と一緒に何かできたら、楽しめたらいいなと思います。ラーメンを通じて。来年以降、くろ㐂面白いと思いますよ。

本当にやばいですから。今は言えないですけど。
―ありがとうございます。様々なことを想い、繋がりを信じる。黒木さんの人間味こそが「饗 くろ㐂」の“最大の隠し味”であると確信しました。
黒木さん、本日は貴重なお時間ありがとうございました!
・プロフィール
黒木 直人 大将
2011年、東京都千代田区に「饗 くろ㐂」を開店。日本全国の食材を現地まで足を運び、「想い」を汲み取った一杯は、国内外問わず多くのファンを惹きつける。
「麺 㐂色」(岐阜県岐南町)と「小麦そば 池」(長野県松本市)は、「饗 くろ㐂」出身の独立店。